シンクロ
息子の学校への送り迎えをすること、もう12年にもなるんだ。
今朝、車から降りて学校へ歩く高校3年生の息子の後ろ姿が小学校1年生の時の後ろ姿とシンクロして涙腺が緩んだ。
車から見送る私を振り返り振り返り確認しながら登校する小さくて可愛かった彼は無事に身長も伸びて母を超し、今では滅多に振り返ることもなく登校して行く。
まあ寂しくも普通のこと。
彼が親元を離れる仕度を始めてからというもの、親としてして来たことと更にこれからして行かなきゃならないことに、今までどれだけ出来てたんだろうかこれからちゃんと出来るんだろうかと胸が潰れそうに痛む毎日。情けナシ。
そう言えば幼稚園から小学校に上がる時も似たような気持ちだったかな。
学校というひとつの社会に踏み出せば、楽しい事も沢山あるだろうけど辛い思いも沢山するんだろうなという老婆心…。
心配性がゆえ。
寂しいけれど、可愛い子には旅をさせろで手放す時が近い。すぐそこ。
寂しくて寂しくて仕方ない。
言えないけどねー。
人使い
荒いでしょ。
今に始まったことじゃないけどね。
行って来ました朝二番ぐらいのススキ刈り。
汗だくのススキまみれの蚊にさされまくり。
けどね、いいススキが刈れちゃったし量もドンピシャ、ついでに実家の庭で切ったお花たちも思いの外カッコよく生けれちゃったから、自己満足と背中にドヤ感滲んでたかもですけど。
褒めたりはしないけど、私だけじゃなく満足してる感が受け取れたから善しでよろしいか。
しかし。
このススキ、いつまでもつの。
次のススキ刈りはいつ。
カミングスーーンでしょ。
恋をしたい
そう。思う訳。
歳をくってどんどん自信をなくして行くのと並行して鈍感にもなって行ってる気がするのね。
歳をとるって、色んな意味で大きく豊かになるものかと思っていたけど、私の場合、自分のダメなところが肥大とか露呈とかされて来るだけで、
ただの『歳に不足のある大人』なんではないかと四十路半ばにして自信を喪失している仕事中。
恋をしたい。とは思うけど、したいと思って出来るもんでもなければそう思ってること自体が寂しいなと感じたりもしてね。